携帯★画像on渡辺水巴(わたなべすいは 1882年明治15年6月16日〜1946年昭和21年8月13日) 64歳 本名 義 東京浅草生 鳴雪・虚子に師事 俳句を専業とする俳人でホトトギスを代表する作家 父は日本画家
さざ波は立春の譜をひろげたり
早春や老の血となるはうれん草
降りしきる雪をとゞめず辛夷咲く
雪解富士幽かに凍みる月夜かな
かたまつて薄き光の菫かな
ぬかるみに夜風ひろごる朧かな
蒸し鰈子にむしる花過ぎにけり
てのひらに落花とまらぬ月夜かな
牡丹見せて障子しめたる火桶かな
大涛に沈む日も見ず田打かな
日輪を送りて月の牡丹かな
うぐひすの声さみどりや花卯つ木
白雲や実がちに咲きし桐の花
石楠花や朝の大気は高嶺より
紫陽花や白よりいでし浅みどり
薫風や蚕は吐く糸にまみれつゝ
五月雨や蕗浸しある山の湖
マッチ擦れば焔うるはし閑古鳥
縁にしなふ竹はねかへし冷奴
夏の月蚕は繭にかくれけり
白う咲きてきのふ今日なき蓮かな
風蘭に雨月ありけり蚊帳に入る
産着着てはやも家族や蝉涼し
蝶つまめば恐しき貌の秋暑し
啼きやめてぱたぱた死ねや秋の蝉
こほろぎや入る月早き寄席戻り
さかりとて寂かに照るや水引草
風の音は山のまぼろしちんちろりん
月の餅搗くや鶏頭真赤なる
大空のしぐれ匂ふや百舌の贄
蓑虫や足袋穿けば子もはきたがり
芭蕉忌や草履になごむ月明り
うすめても花の匂ひの葛湯かな
夕映に何の水輪や冬紅葉
さざなみは影をつくらず枯尾花
ほんの少し家賃下りぬ蜆汁
水仙の束とくや花ふるへつつ
白樺に湖に雪飛ぶ初手水
冬山やどこまで登る郵便夫
さゝ鳴を覗く子と待つ雑煮かな
霜蹴つて鶏逃げ歩く出初かな
みぞれとはやさしき名なり積るかも
山茶花のみだれやうすき天の川
浮雲やわびすけの花咲いてゐし
◆俳句清書画像のリンクをクリックしますと、俳句の鑑賞画像・関連の画像表示に切り換わります。 ◆写真素材提供Hoshino
携帯★画像onシルクの生産に貢献してきた蚕(かいこ)は、人間の品種改良によって自然には戻れない昆虫となって生かされて来たことを知ると何故か哀れに思ってしまう。しかし、その蚕の参考的原種であるヤママユガ属の蛾が、今も日本中の自然に逞しく生きているらしいと知ってホッとしたりする。
俳句は自然に生きる植物・動物を巧に取り入れて様々な動植物の生きざまと人間との関わりを表現し我々俳句愛好者を楽しませてくれている。
調べてみると、「蚕」の俳句はかなり詠まれているようだ。蚕の大量消費時代に詠まれたものだろう。ただ蚕産業に終わりが告げられて久しい今日では、これらの俳句を本当に理解し鑑賞するためには、様々な古い知識が必要になる。しかし、そういう気持を起こさせるのも又17音の俳句である。
夏の月蚕は繭にかくれけり 渡辺水巴
明治〜昭和初期の俳句だから、まだまだ日本の生絲産業が最盛期にあった頃であり、作者の渡辺水巴は繭の生産者である飼屋(かいや)農家を訪ね観察しながら俳句にしたのだろう。
ネットで知ったが、蚕の繭を自宅でも作り様々に加工して楽しむ趣味の世界があるようだ。非常に興味深いが、どうもお金のかかる趣味かも知れない。
その蚕の趣味の世界への流通もあって、例えば、春蚕、夏蚕、秋蚕と少しずつ飼いながら自宅で繭を作らせてからシルク製品にまで仕立てることが出来るらしい。
生絲産業が廃れた後にまだ趣味として生かされている蚕がいることを知ると今度は哀れみではなく慈しみを覚えてくるから不思議である。
夏蚕のことを知ってこの句の正しい意味を理解出来てきた。
捨蚕(すてかいこ・すてご)などの俳句が哀れみを助長して人々の心を打つのに比べると地味な俳句だと思う。別な一句「薫風や蚕(こ)は吐く糸にまみれつゝ」も何となく理解出来る程度だが、哀れみより慈しみの心を感じる。この作者は蚕以外に対してもそんな見方を大切にした作家ではないだろうか・・ふとそう思えてきた。
【参考】
珍獣様の博物誌「カイコ」◆俳句清書画像のリンクをクリックしますと、俳句鑑賞・関連の画像表示に切り換わります。 清書画像のリンクをクリックするとちょうど繭を作り始める前のヤママユガの画像が見えます。興味のある方はパソコンで「
六道山公園」までどうぞ♪
記事によると7月2日から繭を作り始め2日間で完成させたそうです。
色々想像を逞しくさせられる面白い写真ですね・・シルクロードへの純朴な憧れに誘われる渡辺水巴の俳句にふさわしい写真だと思いました。